死の町

福島第1原発警戒区域内を視察した際の印象について「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形でした」と述べたことなどで、鉢呂経済産業相が辞任した。報道陣の一人に防災服をすりつける仕草をして「放射能をつけた」というような発言をしたとのことで、どっちの発言がより責任を問われたのかは知らないが、「死の町」という表現はその通りで、これで辞任を迫る方がおかしいのではないか?
食品の放射能汚染についてもだが、日本では本当のことを言うと責められる。原発安全神話からそうだったわけだが、日本では放射能の真実を話すことは今でもタブーだと言うのか。
土壌中の放射性セシウムの実測値も出て、かなりの広さの場所が百年単位で人が住めないことはとっくにわかっているはずだ。除染すれば戻れるとか、住み続けられるとか、甘い希望を持たせる方が罪は重いのではないのだろうか。
住めない地域の人には、きちんとした謝罪と補償を行って、故郷は捨ててもらう。これは政治の責任である。これはもちろん途轍もない責任を伴う厳しいものであるから、誰もやりたくはないだろうが、このまま先送りするばかりでは避難している人は戻れるかもと新しい生活、人生に踏み出すこともできずに時間を空費し、本当なら避難しなかればならない場所に残っている人はいたずらに被曝を続け、行く行くは病人、死人が続出することになるだろう。
前から政治には期待するなとは書いているのだが、最近の除染で何とかなりそうという報道の雰囲気作り、行政の動きは危険すぎる。自分が病気になったり周囲で病人が出始めてからでは遅すぎるのだ。