殺人狂時代

ノルウェーでの爆弾、銃乱射事件、中国の新幹線の追突事故と立て続けに悲惨な出来事が起きた。
2つとも大きく報道されてはいるが、外国の出来事だからどちらも所詮は他人事と言う感じだ。日本ではノルウェーでのような事件は起きるわけがないと誰もが思っているだろう。地下鉄サリン事件などもうすっかり忘れられている。
中国の新幹線事故は、中国がアメリカで新幹線の特許申請をしたこともあったからか、鬼の首をとったような報道ぶりだ。もちろん小生も中国の安全、人命軽視、事故処理の乱暴さ、隠ぺい体質はひどいと思うが、マスコミがことさらそれを批判するのを見るにつけ、自分達はどうなんだよと思ってしまう。福島第一原発事故での政府、東電などの対応、そしてメディアの報道はどうなのだ。中国を批判している暇があるなら原発事故、そこから拡大する一方の放射能汚染問題こそ厳しく批判、追及するべきではないのか。
秋になれば放射能汚染米の問題や、被曝の影響かもしれない奇形、障害のある赤ちゃんが多く生まれることでパニックになるのではないかと思っていたが、余りの日本人のぬるさに、パニックなど何も起こらず、一部で抗議行動が起きてもまた黙殺されて漫然と時が過ぎて行ってしまうのではないかと思うようになった。自分に変調が起きたり、身近な人がばたばた倒れたりしないと気付くことはないのかもしれない。

福島県では、県民全員を対象に健康調査を実施し、長期間にわたって放射線の被曝の影響を調べることになった。放射線量の低い地域に避難させてのことならまだ納得できるが、国内外で多くの人が危険を警告しているような高線量の地域に放置したままでのことである。低線量被曝の大量のデータが欲しい輩がたくさんいるのだろう。
チャップリンの「殺人狂時代」という映画で、「One murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify」という有名なセリフがある。万単位になると人の顔は見えず、単なる数字になってしまうし、その数字が多いほど有難がる人間がいるのだ。
小生はそんな数字に入るつもりはない。これまでもアウトロー的な生き方をして来たわけだし、これからはますますアウトローで行くだけだ。